演出による物語の規定

 エロゲ演出の可能性とアージュの演出能力の高さ。(アセティック・シルバーさん)
 エロゲのアニメ的演出について考えてみたポメラニアン・ナウさん)

 いや、ちょうどついこないだ『FORTUNE ARTERIAL』をクリアしたところだったんだけど、いちいち細かい演出が入るんだよね。『FORTUNE ARTERIAL』に限らず、最近のエロゲーは全般的に、そういう細かい演出が強化されてる感は確かにありますね。例えば、雨が降れば窓の外には無数のラインが走り、太陽がギラつけば、画面の中の太陽はゆらゆらと揺れる。刀がぶつかり合えば火花が散り、爆発が起これば画面が揺れる。最近プレイした作品だと、『そして明日の世界より―』なんかは地味だけど効果的な演出が成されていると思いました。
 視覚的、聴覚的演出を用いて、より直接的にプレイヤに伝える
 なるほど、それは事実だと思います。そしてそれは、裏を返せば、「演出することとは、(プレイヤが体験する)物語を規定すること」だとも、言えるのではないかな、と。
 文章を読んだ人間の頭に浮かぶイメージは千差万別です。例えば「流れるように雨が降っている」という一文を読んだとして、思い浮かべるイメージは、恐らくおおよそ同じ方向性を持ちながら、しかし細かいところで違ってくる。しかし、視覚的、聴覚的演出を伴えば、製作者側にとって、物語はより精度を増すのではないでしょうか。
 ただ、それは「プレイヤの脳内自由演出」の自由を奪うということでもあります。振れ幅の余地がないせいで、「プレイヤが(に)各々の好み通りに微調整する(させる)」ことも出来なくなるわけで。
 ここらへんの使い分けが、これからのエロゲーは重要になってくるのかもしれないですね。と言うか、武器を二つも持っているエロゲーって凄いってことかしらん。