演出による物語の規定2

 引き続き。
 ハロルドのたわごとさん
 

仮にもエロゲーなんだから、エロシーンにも力を入れたほうがいいんじゃないのかな

 演出という点とは少しズレるかもしれないけど、わりと昔のゲームってエロシーンのCGの背景がもやっとした夢幻世界みたいになってることが多かった気がするんですよね。今もたまにあるけど。俺はアレがあんまり好きじゃなかった。異世界に引きずり込まれた、とかいう設定ならまだしも、お前それテメエの部屋じゃねえのか、と。それがまぁ今は背景まできっちり書き込まれてることが多いと思いますけど、これがこの先、例えば雨のシーンで雨と雷が夜の部屋に差し込む影に映ったり、うだるような暑い夏の日に、強烈な日差しで屋外の背景がぼやけたり、そんな演出で、よりエロシーンへの移入度が高まるってのはあるんじゃないかな、と。ただまぁ、細かいところにコストを割いてる余裕があるなら、エロシーン一個増やせって話もこの場合はあるような気もするな(笑)。

 「エロゲのアニメ的演出〜」:追補ポメラニアン・ナウさん)

 カメラワーク、という話は俺も昨日から気になってたんだけど、エロゲーって(まぁそうじゃないゲームもたくさんあるって部分はスルーで)ほぼ一貫して主人公の視点で物語が語られ続け、画面は主人公の視点として表示されているわけですよね。にも関わらず、エロシーンや戦闘シーン、そして見せ場みたいな一枚絵になると、主人公が、異なる視点のカメラから捉えられ、画面内に姿を現す。この間も、主人公視点の文章は続いてるわけで。ここで乖離が生まれてしまうんじゃないかなあ、と。モンタージュとかエイゼンシュタインとか、昔大学の講義で聴いただけなので外してるかもしれんけど、ここらへんの問題はエロゲー特有に近いものなんじゃないかな。

演出による物語の規定

 エロゲ演出の可能性とアージュの演出能力の高さ。(アセティック・シルバーさん)
 エロゲのアニメ的演出について考えてみたポメラニアン・ナウさん)

 いや、ちょうどついこないだ『FORTUNE ARTERIAL』をクリアしたところだったんだけど、いちいち細かい演出が入るんだよね。『FORTUNE ARTERIAL』に限らず、最近のエロゲーは全般的に、そういう細かい演出が強化されてる感は確かにありますね。例えば、雨が降れば窓の外には無数のラインが走り、太陽がギラつけば、画面の中の太陽はゆらゆらと揺れる。刀がぶつかり合えば火花が散り、爆発が起これば画面が揺れる。最近プレイした作品だと、『そして明日の世界より―』なんかは地味だけど効果的な演出が成されていると思いました。
 視覚的、聴覚的演出を用いて、より直接的にプレイヤに伝える
 なるほど、それは事実だと思います。そしてそれは、裏を返せば、「演出することとは、(プレイヤが体験する)物語を規定すること」だとも、言えるのではないかな、と。
 文章を読んだ人間の頭に浮かぶイメージは千差万別です。例えば「流れるように雨が降っている」という一文を読んだとして、思い浮かべるイメージは、恐らくおおよそ同じ方向性を持ちながら、しかし細かいところで違ってくる。しかし、視覚的、聴覚的演出を伴えば、製作者側にとって、物語はより精度を増すのではないでしょうか。
 ただ、それは「プレイヤの脳内自由演出」の自由を奪うということでもあります。振れ幅の余地がないせいで、「プレイヤが(に)各々の好み通りに微調整する(させる)」ことも出来なくなるわけで。
 ここらへんの使い分けが、これからのエロゲーは重要になってくるのかもしれないですね。と言うか、武器を二つも持っているエロゲーって凄いってことかしらん。

『Garden』感想

 まぁ明らかに未完成なのでレビューは書けないよね。ってことで感想。正直、絵里香ルートに心が撃たれたのは事実なんだけど、心が撃ちぬかれる筈だったんだろうなぁと思うとガッカリな思いはあります。何故なら、一応エンドマークを付けて体裁を整えた絵里香ルートですら、放りっぱなしジャーマンであることは明らかだからです。まぁネタバレるわけにもいかないのでアレですが、「説明をしてくれ」と。例えば「なんだか分からないけど悩んでる」てのは、あくまで序盤だから許されるわけですよ。そいつの心情を描いて、事実を描いて、外部とのコミュニケーションを描いてくれないと、きっと俺は、作品本来の物語では何も感じてねえことになるんじゃないかな。そんな状態で感動させられてるんだから世話ないですが(苦笑)、はっきり言って、もう既にプレイしてしまった自分を俺は後悔しています。何故パッチを待てなかったんだ、と。いや、一端とは言え物語を経験したからこそ待ちたいと思ってるわけで、言っても詮無きことなわけですが、それでも後悔しています。彼と彼女の、心が、想いが、しっかりと描かれた『Garden』をプレイしてみたかった。悔しいな。パッチが出るのがいつになるのか分からないけど(絵里香は一番遅いんだろうし)、その頃には物語の記憶が薄れてないかな。薄れないくらい魅力的だから困るんだけどさ。

50→1000

 家に帰ってきてこのブログを開いたら、ページビューの数字の千の位が変わってた。今まで一日50カウント程度だったもんだから、最初は気づかなかったよ(笑)。どうやら『独り言以外の何か』さんと『カトゆー家断絶』さんに紹介していただいたみたいです。ありがとうございます。恐悦至極でございます。

『Dies irae』、『Garden』、そして『モリー・テンプラーと蒼穹の飛行艦』(の帯)との遭遇。

 『Dies irae』と『Garden』。この二つのエロゲーが、年末年始のエロゲー界隈を騒がせたのは記憶に新しいところです。その頃俺は、ある一冊の書物と書店にて遭遇していました。
 『モリー・テンプラーと蒼穹の飛行艦』(スティーブン・ハント著 富永和子訳 エンターブレイン
 まずは、エンターブレイン紹介ページをご覧ください。ロンドンのそびえる街並みをバックに、背中合わせの少年と少女。なかなか魅力的な表紙絵です。そして、

 「あなたはわたしの騎士(ナイト)…それ以上よ」
 魔法と機械が生み出した、世紀末ロンドに酷似する世界<ミドルスティール>。少女モリーは少年オリバーとともに、今、運命の翼へと飛び乗る。イギリス・ファンタジー文学の次代をになうスティーブン・ハントの処女作

 とのキャッチコピー。これはそのまま実際の帯にも使われています。皆さんは、この表紙絵と紹介文を見て、どのような作品をイメージされたでしょうか。俺はラピュタ……とはちょっと違うかもしれませんが「少年と少女が手に手を取り合って困難を解決しながら空へと駆け上がる、ボーイミーツガール(あるいはガールミーツボーイ)」を想像し、期待しました。と言うか、それ以外想像しようがないですよ。「あなたはわたしの騎士…それ以上よ」だぜ? だがしかし!(以下、ネタバレ……じゃないと思うけど、そう言われても困るので収納)

続きを読む

決して交わらない筈の現実、あるいはエロゲー的寝取られ---『姉恋模様』レビュー

 さらにさらに寝取られ話。
 劇的ではない寝取られ話と考えて、俺が思い出すのがBLACK RAINBOWの良作NTRゲー『姉恋模様』です。いや、良作ですって。ErogameScapeあたり見てると微妙な低評価に泣けてきますが。ちとレビューをば。
 物語の筋はシンプルなものです。主人公には明るくてハキハキしたお姉ちゃんがいます。わりとお姉ちゃんのほうはカラッとしていて、弟は姉の何気ない仕草にドキドキしたりしなかったりなわけですが、ま、お互いがお互いのことを憎かろうわけがありません。しかし、二人の淡い恋心は、(まるで現実のように)重ならない。主人公には別の女生徒がモーションをかけてきて、それに呼応するように姉にも体育教師の毒牙(笑)が近づきます……。
 これ、言ってみれば現実ですよね。いやまぁ、姉(あるいは弟)が好きとか有り得ないよ、とかそゆわけではなくて。だって姉弟ですもの。普通恋心抱いたってそれきりだし、お姉ちゃんは現実を目の前に諦めてどこぞの腐れ教師やら腐れ先輩やら腐れ同級生やらの軍門にくだり(笑)、セックスへと至る訳です。これは弟の立場でも同様でしょう。
 俺はそこに興奮するわけですよ。現実を目の前に、諦めて進む。なんて甘美なシチュエーションでしょうか。また『姉恋模様』の体育教師はさ、チンコがデカくないんだよ(笑)。んで、二人の関係もいかにもな薄っぺらさ(体育教師が薄っぺらいってわけではないよ。現実のセックスなんてわりとそんなもんだよねっていう意味)でさ。お姉ちゃんのほうは、「別にこの人のこと好きじゃないのに……」って葛藤するんだけど、そもそも世の中、自分から好きになった人と偶然相思相愛でセックスに至ることなんてそうそうないわけで。くわえて、なんだかんだで「性への欲求」があるんだよね。俺はここが上手いと思う。だって、お年頃なんだぜ。そら「未知への欲求」があって当然じゃないか(ビッチと言われたらそれまでだけど)。だから、姉は体育教師の(女子学生から見たら)老練な手管の前に陥落してしまう……と。そんなこんなが、姉視点で表現されるわけですよ? そりゃもうギンギンですよ。現実みたいなエロゲー最高だぜ! ま、エロゲー的展開もエロゲーなので勿論含んでるわけですが。
 惜しむらくは、ミドルプライスのためボリュームが足りないってこと。でもそんなの関係ねぇ……わけじゃないけど、上記レビューが琴線に触れた方はやってみる価値のあるエロゲーだと思う。
 

エロゲにおける恋愛と人生の絡み

 昨日書いた寝取られ話を引き続き考えてみる。
 考察 寝取られ (「独り言以外の何か」さん)

 しかし、寝取られの難しいところって、物語の到達点の置き場所だと思うんですよね。
 (中略)
 エロゲの興味深さの大きな要素として、恋愛を語っているフリをしながら人生や生命の意義レベルにまで目的を拡大するというのがありまして――寝取られではそれが難しいんじゃないかと思ったりもします。

 エロゲーである以上、主人公はエロによって救われなければならない……のかも。絶対に到達できるものでありながら、崇高なものとして配置されるセックス。だから、「寝取られる」とは、主人公から「主人公としての資格」を取り上げられてしまうことに等しいのかもしれない。というか凌辱とか鬼畜とか通り越して、ある意味エロゲーと最も矛盾した、相容れない筈の概念なのかも。性からの脱却と生きる意味の強く結びついた青春物語といえば、西澤保彦の『依存』を思い出しますが、まぁアレも寝取られではないし(つーかエロゲじゃないし)。
 今ここでふと思ったんだけど、(前にも書いたように)エロゲーにおいて物語るのは(大抵の場合)主人公♂なわけだけど、物語の根幹にいて、テーマそのものを担うのはヒロイン側である場合が多い。そんで大抵の場合、ヒロイン側にも主人公に救われる理由があるんだよね。ここでもし、(主人公がヒロインに救われる状況で)ヒロインが主人公に救われる理由がない物語があったとしたら、その物語において彼らはセックスを出来るのだろうか。そして、「寝取られ」的な状況を迎えずにすむのだろうか。
 なんだかよくわからなくなってきた。迷走。ただ、寝取られがエロゲー界隈で非難される理由には、(まぁ処女厨がどうのこうのと言う話もあるんだろうけど)、寝取られるには、物語のテーマや、物語内における「主人公が享受する救済」と同じくらいの理由を用意しなきゃならないからってのはある気がするな。
 俺は寝取られはあんまし好きじゃないです。でも好きです。って言うか、寝取られる男の心情にはあんまり興奮しなくて、ヒロイン側の心情に寄り添いたいタイプなので。でもビッチはイヤだという。難しいな(笑)。